ハロモニ劇場

ハロモニ劇場

さいばらさんも日記で取り上げていますが、今回のハロプロ劇場はとても興味深いものでした。


冒頭、頑固一家(一徹を除く)が公園で寝ています。大家さんに無償でアパートの部屋を提供されたものの、遠慮して公園で寝ていたのでした。大家さんはかつて、そろばん片手に滞納者から家賃を取り立てるシーンもありました。そんな大家さんが無償で部屋を提供です。さらに朝食の差し入れまで持ってきてくれました。マキエル神父も朝のパンを買ってきてくれました。トメ子は部屋も食べ物も固辞しようとします。


そこでマキエル神父の「教会に泊まりなさい。そのかわり掃除してください。」という提案です。それならば無償で人様のお情けにすがることにはならず、トメ子も喜んで受け入れることができます。みんなで教会に行って朝ごはん食べることになりました。大家さんやマキエル神父の愛、トメ子の貧しくとも矜持を失わない美しい心、ふたすじの笑顔に胸打たれます。


そこにハロモニ幼稚園の飯田先生登場です。先生は、ひとすじ・ふたすじが最近幼稚園に来ていないので心配だと言います。しかし彼らは幼稚園に行くのを嫌がります。先生がお金持ちをひいきするのを知っているからです。幼稚園児にして「世の中、所詮カネなんだよな」ということを彼らは身をもって知っているのです。飯田先生は、大家さんやマキエル神父とは対照的に、世の中の汚れちまった大人の象徴なのです。飯田先生の作り笑いが虚しく響きます。


すると今度は、「世の中、所詮カネなんだよな」を無邪気かつ無意識に体現している幼稚園児が現れます。「わたしの名前は白百合つぼみ。大金持ちでお嬢様で、とってもかわいい女の子!」。続いて桃色桃子、「おうちは普通だけど、つぼみちゃんより100倍かわいい〜女の子!」。桃色桃子は、女の子のかわいさは武器になる、カネになると、やはり無意識に察知しているのかもしれません。そんなふたりは、あたかも汚れちまった大人の世界の縮図を表しているかのようです。


ところがもうひとりの幼稚園児、博多れいなは違います。つぼみちゃんの買収に屈っすることなく、対照的にやすやすとお金を受け取ろうとする飯田先生を厳しく糾弾します。れいなの正義を貫く姿勢には感動します。飯田先生はたじろいで作り笑いで誤魔化すしかありません。


しかし、おそらく飯田先生は、自分がいかに卑屈な行動を取っているかわかっています。白百合家は幼稚園に多額の寄付をしています。もしつぼみちゃんや白百合伯爵夫人の機嫌を損ねたら、寄付が打ち切られて幼稚園の経営が立ち行かなくなるかもしれません。そう思えばこその苦渋の選択なのです。ある意味、大人になるということは、そういった苦渋の選択を受け入れるということなのです。


以上、今回のハロモニ劇場は、人間の聖と俗、理想と現実を見事に対比させて描ききった快作です。なお、この後も物語は続きます。つぼみちゃん、桃子、れいな、先生が紙芝居を見ます。それについてはさいばらさんの日記を御覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/Saibara/20041117
http://d.hatena.ne.jp/Saibara/20041116